2022.12.23

第8波

 新型コロナウイルス感染拡大第1波は、2020年4月11日をピークとする流行時期とされている。1日あたりの新規感染者報告数が全国で720人を記録したと大騒ぎになった。1日10万人が感染している今となれば他愛ないとも言えるが、あの頃は相当怯えた。それでも、1年もすればこんなことは収まるだろうと考えていた。
 尾身会長がテレビカメラの前で新型コロナウイルス感染症終息宣言をする。それを聞いた市民たちが広場に集まり、マスクを外して天に投げ、歓喜の声をあげながらダンスを踊る。隅田川で花火が上がり、電通が仕切る「終息を祝う会」が新宿御苑で開催され、支持者を集めた総理大臣が「終息は政府の力によるものだ」と滑舌悪く演説する。そんな日が来るものと思っていたが、そうならない。
 そうならないが電車も飛行機も混んでいる。浅草の外国人と渋谷の若い奴はマスクをしていない。政府は外ではマスクをしなくしていいと言っているが、同調圧力はまだあるし、高い金を払って買った事務所の在庫マスクもまだまだある。第8波は始まったのか、これからなのか。来年、夏も近づく頃には88波になるのだろうか。
 コロナは風邪だという人が増えてきた。そうかもしれないが、風邪は万病のモトである。くれぐれもご注意、ご自愛ください。本年も大変お世話になりました。ボヤキの駄文へのお付き合いにも感謝します。明年もよろしくお願い申し上げます。

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高齢化経年劣化

 全数把握をやめようが、療養期間が短縮されようが、分類変更されようが、生存本能があるからコロナにはかからないようにビクビク暮らしている。それでも、あちこちの不調は経年劣化で仕方がない。劣化してもダマしダマし動かさねばならない。
 自分のことを中年だと思っていたが、NHK放送文化研究所の「中年は何歳から何歳までか」調査によれば、回答平均は「40.0歳から55.6歳まで」だそうだ。だとすると、俺は老人かよ。
 老人分類されても引退してはいられないのである。高齢化社会にあっては、ごく一部の成功者を除けば引退なんぞしたら食えない。一世を風靡した方々は入浴シーンをやめ、おかみを退いたとしても、零細企業主はうっかりが増え続けても、稼ぎ続けねばならない。
 昔の60代はどうだったのだろうかと調べてみた。子どもの頃から正月になると見ていた『初詣!爆笑ヒットパレード』。今年の元旦もきっと見るだろうけれど、あの番組が1968年にスタートした時の総合司会はトリオザスカイライン。東八郎38歳。去年の司会はナインティナイン。岡村隆史51歳。1980年の漫才ブームの頃、年寄りの漫才師だと思っていたWけんじは56歳だった。今、たけし75歳、さんま67歳。1968年の男の平均寿命は69.05歳、2021年81.47歳。50年でプラス12.47歳。ってことは、昔ならまだ俺、49歳ということになる。


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口腔虚弱

 歯医者で診察後、抜歯は土日もはさんで4日後の月曜になった。で、土曜から痛みが増してきた。酒を飲んで紛らわそうかと思ったが、醒めた後はきっともっと痛いだろうと止めた。日曜の夕飯は湯豆腐にした。ネギはくたくたになるまで煮えてから食べた。味変がしたくてはんぺんを入れ、鍋全体を覆うように膨らんだのを食べた。まだ足りないので、うどんを少し、ドロドロになるまで茹でて食べた。歯が痛いのに、いつもより余計に
腹が減る。そして月曜日、抜歯。それから1か月。まだ抜けたところはそのままになっている。こうやって1本ずつ抜けていずれ全部なくなるのか。前にそういう夢を見たことがある。その時も、豆腐とはんぺんを食べていた。
 最近、原稿を書く必要からオーラルフレイルという言葉を知った。口腔虚弱、口の老化という意味らしい。いきなりカタカナを言われるとよくわからないというのも老化だろう。歯の老化はその人全体の老化を早めるという脅し文書がネットに溢れている。口がモトになった災いは幾たびも経験してきたが、これからは口がモトになった病も経験することになるのだろうか。

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悪い予感

 どんな生き物にも生存本能があり、本能が危険の予知をする。そういう本能が退化したとされる人間にも多少は残っている。「予感」というやつがそれだ。本能の諸々が退化している自分でも「予感」は感じることができる。恋の予感は久しくないが、子供の頃から現在に至るまで悪い予感はよく感じ、そして的中する。妻が怒っているらしいことは、玄関の外からでもわかる。なぜ、なぜ、と気配がするのだ。もっとも予感が当たっても、なぜ怒っているのかは最後までわからない。
 先月、朝ごはんを食べている時、なんだか悪い予感がした。なぜ、なぜ、と頭の中で歌いながらこの予感は何かと考えると、別に痛いわけではないが口の中が何だか変だ。余計なことをしゃべるなと言う神のご指示であろうか。そしていつものように無駄に口を使って仕事して、夕方から酒を飲み始めると変な感じの場所が特定できた。右下の奥歯が変だ。痛いわけではないが、大事をとって翌日の歯医者を予約をすぐする。
 翌日、歯医者に行く。奥歯のあたりは少し痛くなってきて腫れている。レントゲンを撮った後、医者は言った。「ダメですね。抜きましょう」。老化した歯の根元がダメになっているそうだ。男の老化は歯と目ともう一か所から始まるという。既に老眼は進行していて、そして歯である。もう一か所のことは教えない。

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ビジネス感覚

 実家にVHSのビデオデッキが入ったのは、大学を卒業してからだった。それから3年して自分用にビデオを買った。話題の『東京ラブストーリー』を録画して女の子に話を合わせようとしたが、留守録のセットをよく忘れた。当時の留守録は1回ごとしか録画できなかった。結局、毎日酒を飲んで遅く帰って来てからのレンタルビデオの再生用になった。エッチなビデオを借りたんだろうと思っているだろう。借りたよ、借りました。毎回必ず、文芸超大作と一緒に借りました。
 1986年頃、街には小さなレンタルビデオ店がたくさんあった。その年、石川県でレンタルビデオ屋を開業したほぼ同い年の男は、店舗展開に成功する。彼は1989年の年末に公開された映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』を見てレンタルビデオ店の消滅を予見したという。その後アダルトビデオの制作で稼ぎつつ、インターネット草創期の1998年にはネットビジネスに参入する……DMM.com創業者のお話。俺はその間、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』を映画館で見て、レンタルビデオに金を払いながら、いったい何をしてたんだろうとかと思う。

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すきすきアッコちゃん

 『魔法使いサリー』の原作は横山光輝で、その後の『ひみつのアッコちゃん』は赤塚不二夫が原作者だ。この2つのアニメは小学校入学時から卒業まで、再放送も含めて何度も見た。2つともバブルの頃にリメイク放映され、アッコちゃんはさらにその10年後にもリメイクされている。最近、アッコちゃんの「新しい」方の2作を見た。ママや先生がとても若くなっている。2作目のパパはニュースキャスターで、3作目はカメラマン。1作目は豪華船の船長で、当時の僕には「なんだかすごくカッコイイ」感じの職業だった。第4作が作られる時のパパはユーチューバーなのだろうか。
 俺だったらアッコちゃんのパパは中小企業の経営者にして、苦しい経営を鏡を使って救うという池井戸潤パターンでいきたいけどね。あっ、それで新作を作ってもいいな。銀行員は、ホトボリが冷めるまで大和田は使えないけど。「バレて困るのがパクリ、バレると嬉しいのがオマージュ、バレないと困るのがパロディ」と何かに書いてあった。でも、弁護士に聞くと著作権上は全部NGだそうだ。赤塚不二夫は2008年に亡くなった。最低でも2058年までは保護されている。
 アッコちゃんの主題歌とエンディングの『すきすきソング』の作詞は井上ひさしだと知った。赤塚不二夫のお気に入りだったらしい。カラオケ自粛がすんだらぜひ歌わねばならない。

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敗北のテレビ

 小中学校の頃はビデオなんかなかった。テレビの前にカセットテープデッキを置いて好きな番組の録音をした。「そこ片付けて」「静かにしてよ、もーっ」という音も入っていた。録音再生でどう楽しんでいたのか覚えていないが、友達もやっていた。
 それでもテレビである。録音ではぜったいに楽しめないものもある。早く大人になって夜中に『11PM』のウサギの耳のおねぇさんをじっくり見たいと思っていた。会社に勤めて、常務のお供で初めてエスカイヤクラブに行って念願を果たした。
 山城新伍の『独占!男の時間』を宮本顕治が批判したのは1975、6年。別に、それが理由で大学に入って反民青をやったわけじゃないけど。
 おじさんはテレビの影響下で育った。「テレビっ子」も、いずれ死語になる。

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テレビっ子世代

 最近のドラマでは、警察に追われる犯人もシートベルトをするらしい。しないとクレームの電話をする視聴者がいるようだ。「子供に悪影響を与える」というのがテレビに対するクレームの主たる理由だ。しかし今や子供たちはテレビを見ない。基本はネット、YouTube。そんなこともわからないのは愚かなクレーマーとNHKだけである。今年の『紅白歌合戦』は一体誰に見させたいのだろうか。50代以上で、出場する歌手を全部知っている人は稀だと思うぞ。
 子供はテレビを見ない。大人は不快なシーンがあればチャンネルを変えればいい。水曜日は8時までに何が何でも帰ってドラマを見る、というのは昭和の人間だ。そうだよな、今は留守録だよなと言って大いに笑われた。おじさんはTVerもGYAOも知らない。

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相撲人事

 大鵬は白系ロシア人だと教わっていた。床屋のおじさんが「だから大鵬の前で行司はハッケイヨイ」と言うんだと言っていた。当時9歳だったが、つまらないことを言う大人だと思った。
 大鵬が引退して北の富士が横綱で高見山が初優勝した小学校5年生の頃、クラスで相撲ブームがあった。転んでも痛くないように砂場で相撲を取る。最初から砂かぶり。仲間に入れてもらったがチビで力がないのは今と同じで、しかも痩せていたから極めて弱かった。四股名は中川。当時、長谷川という人気力士がいた。弱かったけど番付は関脇。特技があったからだ。相撲の技ではないのだけど。
 ちょうどその頃、母親の知り合いに蔵前国技館に連れて行ってもらい、その時お土産にもらった番付を真似て、マジックとサインペンでクラスの相撲番付を作って教室に持って行った。好評だったので、対戦結果をもとに週1~2回更新することにした。自分で作るのだから誰を横綱大関にするか、誰を前頭に落とすか、昇進も降格も思いのままだ。人事の面白さを知ったのはこの時だ。勝手に作られた番付でも降格はされたくないから僕には手加減する友達もいる。人事権を持った者は強いということも学習した。自分が全敗した週の次の番付では自らを小結に陥落させた。公平を装うことの大切さも覚えたのだ。
 教室で昨日のプロ野球や相撲が共通話題となった世代は、我々が最後なのではないか。学校帰りにみんなで相撲をしていたなんて昭和の風景だろう。我々の世代は小学生の頃から「相撲」という漢字を、書くのはともかく読むことはできた。茨城県にいた同世代の従兄は、原辰徳が初めて甲子園に出た時、その高校名を「トウカイオオズモウ」と読んだ。もう中学生になっていたのに。


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だけど…

 うちの学校の理事長は相撲部出身でも小説家でもないが、相撲部応援の依頼が時々くる。風呂を借りた恩義もあり、50代になってからはOB会の先輩の命令で母校相撲部の諸々にも時々お付き合いするようになった。母校出身力士の番付にも、少しは関心を持つようになったが、コロナ禍になってから大相撲入りした納谷のことはすっかり忘れていた。まだコロナはクルーズ船の中だけだとみんなが思っていた2020年2月、40歳で髷を切ることにした後輩・豪風の引退相撲を国技館に見に行った。納谷はその翌月に入門した。
 相撲部の応援もいいが、ほどほどにしておかないと金がかかる。でも、 時々面白いこともある。これもコロナ前のこと。卒業生力士が関取になったので化粧回しの授与パーティーをするから来いと連絡が来た。一度公務員になってから入門した一山本。また金をとられるのかとパーティー会場に行くと、二所ノ関親方、元大関・若島津が用事があっておかみさんが代わりに挨拶するという。おぉ高田みづえではないか。「誰っすか、そ
れ」と平成生まれが聞く。おかみさんのために応援しちゃうもんね僕なんか、とジジイたちは大喜びだったが、今年1月に親方は相撲協会を定年退職。高田みづえも61歳でおかみを引退したという。

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