2019.01.03

雨の慕情

 年間の雨の日は全国平均で122、3日。今年の統計はまだ出ていないが、いつも降雨日の少ない中国、四国地区が今年は豪雨だった。そういえば、今年はそっち方面の出張が多かった。やべっ。
 今年も豪雨災害や地震が各地で発生した。天災は、まさにいつ来るかわからない。札幌出張中に防雨風の影響でJRが止まった。なんとか新千歳空港にたどり着き帰京したが、その翌日に地震と大停電が起きた。被害に遭った人、困った人のことを思えば、ついていたなんて言えない。
 災難や不幸は天災ばかりではない。今年も周囲でいろいろあった。人生、うまくいかないことは多いが、ぶうぶう言いながらも逮捕もされず、食い過ぎを嘆くほど元気でいられることは奇跡的な幸福だと、ある雨の日に思った。

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雨男さん

 鵜飼が中止された翌日、中部地方は晴天だった。僕が抜けた後の一行は、櫃まぶしを食べ、楽しく観光した。そこで恐れていた事態が生じた。誰かが「中川が帰ったら晴れた」と言ったらしい。我が社はイベントなども出かけている。そこの社長が雨男と言われては営業妨害である。そのような発言には断固抗議し、そうではないことを証明しなければならない。次回の旅行会には、前日からてるてる坊主を10個下げて臨みたい。
 学生時代、大学祭の実行委員長に就任した最初の新歓学園祭の初日が雨だった。白竜の野外コンサートを急遽屋根下に移動させ散々だった。「委員長が雨男だからだ」と言われたら政権維持ができないと、秋の大学祭は密かに晴天を祈り続けた。雨乞いの踊りがあることは知っていたが、晴れのお祈りはどうやるのかわからなかったが。もし雨になったらヘルメットの諸君をたきつけてロックアウトにさせようかとさえ思った。結果は、4日間のうち2日は晴天、1日が曇りで、1日は雨に降られた。雨の日の朝、本部テントで「誰だ、雨男は」と先に言った。

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迂回

 鵜飼は観られなかったが、説明は聞いた。初めて知ったのだが、鵜は飲んだ魚のすべてを取り上げられるわけではなく、喉の首輪より小さなものはしっかり飲み込んでいるのだそうだ。鵜呑み。小さな魚で栄養補給しながら、鵜匠に命ぜられた業務を遂行するわけだ。
 宴会では「私も40年以上、あの鵜のように会社で働かされてきました」というお約束のご挨拶があったが、それよりも鵜は実に気の毒であるという事実を知った。それは鵜の生い立ちである。
 鵜匠は代々世襲されるが、鵜はそうではない。毎年、北方からやってきて茨城の日立あたりの海岸で羽を休めているところを捕獲され、その後、鵜飼の鵜となるべく訓練されるのである。拉致である。北に連れて行かれ工作員にさせられるようなものだ。鵜の諸君は、茨城は迂回した方がいい。そんな鵜の切ない一生を知ってしまったのだが、それでも鵜飼は観てみたい。

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働き方改革

 長良川に鵜飼を観に行く旅行に誘われた。鵜飼を観て温泉に入り、翌日は熱田神宮のそばで有名な櫃まぶしを食べるという豪華な旅行である。あいにく2日目は予定があるので、鵜飼を観たら新幹線で帰るという予定で参加した。
 当日、昨日までの大雨はやんだものの、降ったりやんだりの天気だった。そして長良川に到着すると、「増水のため今日の鵜飼は中止」ということになった。働き方改革で、鵜にも無理はさせないようになったのだろう。鵜飼を観ることができず、櫃まぶしも食べられず、温泉に15分ほど入っただけで宴会に顔を出し、俺はなぜ岐阜まで来たのだろうかと新幹線の中で、さらに酒を飲んだ。

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オヤジたちはどう生きるか

 仕事で冤罪について調べていたので、人がある日突然逮捕されたりすると、報道を鵜呑みにせず、何かウラはないかと考える癖がついてしまった。社員たちには「俺が山手線で痴漢で捕まったら、政治的な謀略だと思ってくれ」と言ってある。
 しかし、人生何があるかわからない。功成り名を遂げても油断できない。死んだあとだって安心できないのが世の中だ。側近だと思っていた人間に、記者会見で呼び捨てにされたら嫌だな。
 58歳になっても功成らず名も遂げていないから心配ないわけだが、それでもあきらめたわけではない。金も女も背も欲しい。だが、何事もほどほどがいい。他人にヤキモチをやかせて自己確認する満足ではなく、きちんとした自己実現の目的・目標を持てねばならい。子供の頃読んだ『君たちはどう生きるか』を、最近、マンガでもう一度読んだ。

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500億円

 敬愛する三遊亭歌之助師匠(来年、4代目・三遊亭圓歌を襲名予定)が、金額の多寡についてその人の価値観、生活感を知る方法を話していた。左右の手を握って、どちらかが500円で、どちらかが50円。どっちか選んだ方の金額を無条件に差し上げる、と言われ、こっちだと選んだら50円のほうだったとする。ふつうの大人なら「ああ残念だった」で終わるが、ふつうの小学校低学年なら泣いて悔しがる。同じ10倍の差でもこれが5,000円と50,000円だとして、5,000円を選んでしまうと、ふつうの大人ならけっこう悔しがる。50万円と500万円なら泣いて悔しがるかもしれない。
 この桁を少しずつ上げていく。500万円と5,000万円なら、その時は相当悔しいが、無条件にもらえるなら500万円でもまあいいって思うでしょ、ふつうなら。しかし、零細企業の社長であれば、その日は眠れない。5,000万円と5億円なら、零細企業の社長も、悔しがるものの返済不要の金なら5,000万円でまあいいか、となる。だが、ゴーン氏は許さない。この「まあいいか」がどのせんかが、その人の価値観、生活感なのだそうだ。なるほど。

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10億円

 有能な経営者として高い給料で有名だった人物が、ある日突然逮捕された。本当はもっともらっていたのだそうだ。ショックでガーンと思ったが、ゴーンだった。
 仕事で冤罪について調べていたので、検察やマスコミ報道を素直に信じないようにしているのだが、ワイドショーが連日報ずる内容は、がっかりすることばかりだ。しかしそれにしても、テレビというのはすごいな。バンザイ、バンザイと胴上げしていた奴をいきなり落として、足で踏んだりする。すごい。
 10億円ももらってやがってまだ欲しいかコノヤローという気持ちは、僕にもないではない。給料が高かったり、女にモテたりする男は、常に身辺をキレイにしていなければならない。その点、俺は安心だと安堵しているのだが、ただ、10億円の給料というものが想像できない。報道を知った当社のスタッフは、「子供銀行の金額ですね」と言った。現実のものとは思えないということ。
 日産の給料は振込だろうから、毎月、個人の普通預金通帳に何億円もの金額ドカンと記帳されるのだろうか。所得税はいくらなのか。彼は住民税は払っていないようだが、年金や健康保険はどうなっているのだろう。報道を信じるとすれば、彼ならばきっと、それらも細かく計算し節約していたのだろう。

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現物支給

 事務所のスタッフの実家から、新米や精米したてのお米が定期的に届く。それを事務所で炊いてお昼ご飯にし、定期的に会社のホームページにアップしている(『のらこみ歳時記』)。
 打合せテーブルにカセットコンロを置いて、土鍋で炊く。担当は社長である僕の仕事だ。良しと言うまで絶対に蓋をとるなよ、と厳命している。おかずは、博多出張で買ってきた明太子や北海道から届いたイクラ。成城石井で高い卵を仕入れたり、ピーコックストアでカキフライやアジフライを買い足すこともある。先月は、スタッフの実家から届いた栗を一緒に炊いた。
 スタッフには、米は自由に持ち帰ってよいと言っている。給与の補填。わが社のアシスタントディレクターの俸給は、5石2人扶持である。

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最後のコイン

 消費税が10%になったら、10円玉は足りるだろうか。携帯電話が普及するまでは10円玉は必須だった。バイトの学生に「学生時代、友達が公衆電話で10円玉を積み上げて鹿児島の実家に電話していた」と言ったが、何のことかわからないようだ。我々の時代は、10円玉がなければ、涙のリクエストもできなかったのに。
 気がつくと、街から公衆電話が消えていた。張り込みの途中の刑事が、タバコ屋の赤電話で署に電話しているスキに犯人に逃げられ、慌てて追いかける後姿をタバコ屋のばあさんが驚いて見ている……というシーンは『相棒』には出てこない。水谷豊は『熱中時代・刑事編』ではタバコを吸っていたが、今は紅茶を飲んでいる。平成の半ばで、赤電話もタバコ屋もタバコ屋のばあさんも消滅した。

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ワンコイン

 「ワンコイン」という言い方がいつから始まったかわからないが、「硬貨1枚(ワンコイン)ですむ買い物」という感覚はあった。その「ワンコイン」が、子供の頃は10円で、すぐに100円になったわけだ。500円玉が登場するのは1982年で、当時は高額硬貨の感じがあった。まだ大学生だったが、タバコ屋で500円を出すと、ほかのお金で払えと言われたことがある。怪しまれたらしい。
 まだバブルが始まる前、会社の近所のソバ屋の「昼の天丼」が500円だった。500円の天丼は、とても高くはないが、安いとも言えなかった。大きな海老がのっているので結構リーズナブルだったが、すぐに売り切れた。だからいつも食べられない。ある日、11時半に会社を抜け出し、ソバ屋に行った。今日こそは「昼の天丼」と10時半から握りしめていた500円玉はすでに汗ばんでいる。
 ソバ屋に入るとほぼ満席。相席で座る。「何にしますか」とおばちゃんが聞く。当然、「天丼」と注文しようとしたその
時、隣の席にカツ丼が運ばれてきた。それを見た瞬間に、大きな声で「カツ丼」と発音してしまった。このようにあまりにキッパリと間違えたことを言ってしまうと、ふつうの人は訂正できなくなるものである。少なくとも、僕はそういう人間である。平然と前言を翻すことができなかったら、大物になれない。その日もまた、「昼の天丼」が食べられなかったのである。
 バブルを経てデフレの時代になると、いつの間にかワンコインと言えば500円を指すようになった。バブルの頃の若いサラリーマンにとって500円のランチは安く、今、500円のコンビニ弁当は高い方である。平成はデフレの時代だった。

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