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2016.08.17

また疎開か

 伯母が保管していた昭和30年代後半から40年代の『サザエさん』『クリちゃん』の新聞切り抜きをもらってきた。著作権の問題があるから公開の仕方は要検討だが、大事な財産だと思う。4コマまんが部分だけの切り抜きなので年代日時不明。裏側の記事の断片が面白い。夕刊の題字とその横の大見出しの一部。「破防法・参院もまん」、後はどうなったのだろう。
 子供の頃、年寄りはソ連のことをいくら教えてもロシアと言ったが、今、ロシアをソ連と言うのはオヤジだ。当時、ロシアと言う年寄りが「最近の若者はマンガしか読まない」と嘆いていたが、マンガしか読まない人物が総理や財務大臣を務める時代となった。昭和は遠くなりにけり。戦争を知らない子供たちは70歳になり、戦後も知らないオッサンが、核兵器がないと隣国に舐められると騒いでいる。
 1954年公開の『ゴジラ』のDVDを観ていたら、ゴジラ上陸を聞いた若いサラリーマンが「あーあ、また疎開か」というシーンがあった。人は忘れっぽいし、そもそも教わっていないことは知らない。威勢のいいオッサンには、疎開の説明から必要だろう。

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いまはむかし

 ダヨーンの話をしていたら、平成生まれの女子社員は『おそ松くん』を知らないんダヨーンと驚いた。『おそ松さん』なら少し知っている。なんということだ。原作をしっかり読ませないと、俺がダヨーンの実写版だと思われるかもしれない。平成生まれは『8 時だョ!全員集合』(「よ」は小さいカタカナ!)も知らない。赤塚もドリフも古典になった。あなをかし。
 バイトの大学生が「海部さん」を「カイベさん」と読んだ。海部俊樹氏は1989年の第76代(48人目)総理大臣。今の総理は第97代(2回やってるけど63人目)だから21代前(15人前)。バイト君が生まれた頃は第82代(53人目)・橋本龍太郎。僕が生まれたのは現総理のお祖父さんが退陣した後の第58代(38人目)・池田勇人。その21代前は1940年の第37代(26人目)・米内光政。海部さんも知らないのかと思ったが、僕に置き換えると「貴様、海軍大将の名前も読めんのか」と叱られたのと同じ。

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老化防止

 健康は大切だ。デブのこともコレステロールも心配だが、最近、物忘れがひどくなり心配だ。もともとキャパが小さい脳にいろいろなものがたまり過ぎている。古くなって処理スピードも遅くなって効率が悪くなっているから、無駄なものもたくさんしまってある。そして整理しようとすると、大切なものも捨ててしまう。頭を取り換えることができればいいが、現状では難しい。最低限、外付けハードディスクが必要だ。
 老化だから仕方がないと言われるが、では約束を忘れた時、老化だから仕方ないと相手も言ってくれるかというとそうではない。うっかり忘れても、いい加減だから忘れるのだと責め立てる人もたくさんいる。これは切ない。
 昔からいる頑固ジジイも意地悪バアサンも、大半は脳の病気だという説を最近聞いた。時々、因業で悪意全開の人に出会うが、中年以上になるとそういう病気に罹るのだそうだ。嫌なことを言ってくる奴がいたら病人だと思って感染しないように遠ざかればいい。でも、自分は大丈夫だろうか。
 昨夜、何を食べたかを忘れるのはもの忘れで、食べたこと自体を忘れるのは認知症。認知症予防のためにも、何をどれだけ食ったかは、必死になって覚えておかねばならない。幸い、一昨日の昼食がヒレかつ定食であったことまでは覚えている。だがその定食に、ポテトサラダがついていたかどうかが思い出せない。いつもの店なら赤いケチャップスパゲティがついているのだが、一昨日のその店は……。とんかつとキャベツについたソースが、白いごはんを汚したシーンだけは覚えている。

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3つにまとめる

「ただいまご紹介に預かりました私は新婦の父君の友人で……」。こういうタイプの挨拶は長いからとワインのお代わりを頼んだ。
「私は結婚式ではいつも、新婦には大切にしてもらいたい3つのことを申し上げています……」。長い話であっても、先に分量の目安を言ってくれると少し楽になる。「1つは……」これがこの長さだとすると全体の時間は相当長いな、と覚悟を決める。
 で3つ言った後、「最後に……」。3つじゃないのか。
 人が一度に覚えられるのはせいぜい3つぐらいだから、大切なことは3つ以内にまとめた方がいいと昔から言われている。たくさん言っても覚えない。妻や社員が言うことを聞かないのは、僕が一度にたくさん言うからだろう。
 それでも3つにまとめるのはなかなか大変だ。昔、ちあきなおみは「4つのお願い聞いて」と言っていたぞ。

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炭上炭を重ねる

 わかっている。「炭上炭を重ねる」ことはダイエット上は愚かである。しかし、古来より日本人は、その美味さを知っていた。焼きそばパンは偉大なる発明であり、力うどんの伝統的地位は揺るぎない。ちなみに関西の友人は、力うどんの餅は丸く、汁は薄くなければならないと主張する。僕は東日本統一候補として四角い餅を擁立する。揚げた餅もなかなかだと思うが、票が割れるのを避け辞退してもらう。餅を何だと思っているんだと弁
護士が怒っている。
「炭上炭を重ねる」ことの問題点は、栄養が偏ることとカロリーが高くなってしまうことにある。健康を大切にするためには、毎日の食事についてもしっかり考える必要がある。覚えられる3つまでの3大栄養素……たんぱく質、脂質、炭水化物をどのくらい摂取したかのチェックが必要だ。
 たんぱく質、脂質、炭水化物をちゃんと摂る……そうか麻婆丼か、ということになると、これまたカロリーと塩分の大量摂取となる。丼はご飯を食べ過ぎる。残せばいいのだが、あれだけ色がついていても白いままの部分があるだろうと探求するからいけない。ちなみに、池袋駅構内のカレー屋のスプーンはスコップの形をしているのでいつも完食する。カレーがついていないご飯を掘り続けるのである。
 それでも、昨日食べ過ぎたことをちゃんと覚えていれば、今日は控えようとする。何をどう食ったかの記録・記憶は大切だ。でも、報告義務がなければ、記録というものはなかなかつけないものである。
 ライザップではトレーナーに何を食べたかを報告するらしいが、赤の他人にいちいち自分の食事を報告するのは少し恥ずかしい。Facebookに食ったものを投稿する習慣もない。だからといって、外で何を食ったかを正直に妻に報告すれば、きっと叱られる。
 トンテキ、キャベツ、ビール、ラーメンサラダ……出張中の空港のレストランで、自分にメールする。

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屋上屋を重ねる

「屋上屋を重ねる」とは無駄で愚かなことを言う。では、炭水化物に炭水化物をのせることは無駄で愚かなことであろうか。
 想像してみたまえ、ラーメンライスを。ラーメンのスープがからんだ麺をご飯の上にのせてから食べる。麺の下の、少しスープで汚れたご飯がうまい。担々麺だったりしたら、どうしてくれよう。ソース焼きそばもいい。ソースでちょっと汚れたご飯のところ。定食についてくるケチャップスパゲティも、いったんご飯の上に置いてから食べるのが作法だ。
 白いご飯は美しい。しかし、美しいものが少し汚れると魅惑的だ。自ら少し汚し、その愛おしさに食べてしまい、また何事もなかったように白いままに戻すのが、大人の男というものではないか。でも最後は全部食べるけど。

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意志によって高める

 以前、ある人から「免疫力は意志によって高めることができる」と聞いた。その人は破産を経験した人で、儲かっている時に結婚した若い嫁と子供がいた。破産により健康保険にも入っていないので、自分も家族も病気になったら大変だ。だから常に、「自分たちはウィルスなんかに負けない」と念じているのだそうだ。そんなことを言っても子供は無理だろうと思うが、そうではない。
 ふつう子供が怪我をすると、親は「大丈夫。痛くない、痛くない」と言って安心させる。ところがその人は子供が血を流したりしていると、小さな傷でも「大変だ、死ぬぞ」と言う。子供は驚いて「わーん、死にたくない」と泣く。そうすると「死にたくない」という強い気持ちが免疫力を高め、傷の治りが早まるのだそうだ。なるほど。
 イヤなことがあってクヨクヨしていると病気になる。気力が衰えると免疫力が落ちるのだ。イヤなことがあった日は、「わーん、死にたくない」と泣くに限る。

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セッショク障害

 食物アレルギーは自覚していないが、別のはある。接触アレルギー。「摂食」ではない。特に金属がやばいが、何かが肌に長く触れていると赤く腫れてかゆくなる。30代から自覚し、腕時計はしていないし、指輪もしない。素肌にシャツを着てジャケットを指で引っ掛けて肩にかけ、胸元から金のネックレスを覗かせる、ということはライザップの後であってもできないのである。
 時計は革ベルトも金属も、布ヒモさえもダメで、寅さんのようにお守りを下げても、首に赤い筋がつく。デブになっているから当然、パンツのゴムのところが赤く腫れる。風呂上り、下腹部をボリボリ書きながら、過ぎ去った青春の日々を懐かしむ。この部分だけは抗ヒスタミン薬よりもダイエットの方が効果があるとわかっているので、「明日から必ずダイエットをしよう」と、先月は3回誓った。
 とにかく、長時間何かが密着しているとダメだ。若い女性が接触した場合にも赤く腫れるのかどうかはわから一度、検査する必要がある。薄めたのでいいから。

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食べたら死ぬ

 大学時代の同級生の女の子がそばアレルギーだった。そば屋で急に倒れて救急車を呼んだ。合宿で泊まった民宿の枕がそば殻で、全身を赤く腫らした。昭和の終わり頃、美人の彼女の後を男どもはゾロゾロついて歩いたが、吾輩はそのような軟弱者ではなかったので、そばにそばはないかを確認しつつ先頭を歩いた。そのような地道なナイトぶりがやがて姫の目にとまるだろうと思ったが、4年間、彼女の意識に残ることは遂になかった。
 平成も20数年経って、同窓会の帰り道に「そばでも食って帰るか」と誘ったら、「私、死んじゃうよ。忘れたの」と言われた。そういう大事なことを忘れてしまうから、若い時も中年になっても、一貫してモテないのである。
 食べ物のアレルギーはない。もっとも、気づいていないだけかもしれない。食べ物アレルギーで苦しんだ吉行淳之介は、さまざまな食材のエキスを注射してみて、どれがアレルギーかを検査した。すると、どの注射にもすべて赤く腫れてしまう。面白がった医者が、空気のエキスを作って薄めて注射したら、それも赤く腫れたという話がある。
 もし仮にパスタやうどん、ラーメンのアレルギーだったらどうしようと思う。ダイエットになるなどと言っている場合ではない。世の中には小麦アレルギーの人は多い。実に気の毒で、自分は幸せだと思う。幸せをかみしめ、釜揚げうどん大盛を注文する。

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キャベ人

 昔、「かぐや姫」の歌で「雨が続くと仕事もせずにキャベツばかりをかじっていた」という歌があった。まだ中学1年生だったから、四畳半で女と暮らすことは想像できなかったが、屋台でおでんをたくさん買うことには憧れた。
 あれから40数年経った雨が続く梅雨の日、これ以上太ってはいかんぞと決意して、お弁当のご飯はナシにして、コンビニのカットキャベツだけを食べた。このように、中年は不本意に草食化する。そんでもって、仕事はなかなか終わらない。膝を抱えて泣きたい心境だ。生きていることは、ただそれだけで腹が減る。

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愛と死を見つめて

 家に帰ってもなんだか調子が悪い。翌朝も胃がもたれる。心配なので胃カメラをやることにした。早期発見ならなんとかなるかもしれない。たが、予約は2週間先だという。待っている間の2週間、何をすればいいのか。すでに予防の段階を過ぎているとしても、とにかく2週間、免疫力を高めるためにキノコをバクバク食べた。もしかしたら、悪い病気を退治してくれるかもしれない。そして胃カメラの日を迎えた。
 過酷な検査を終えて涙目で医師の話を聞くと、どこも悪くないという。おかしい。では、この胃の具合悪さは何なのか。病院から帰って妻に仔細を話すと、妻は医学の素養があるのか、診察後の医師と同じことをきっぱりと言った。「食べ過ぎです」。
 禁煙し節酒に努めているが、大食いと早食いが一向に治らず、いつも妻から注意されている。熱いおかずを大騒ぎしながらかっ込むと、「そんなに慌てなくても誰も盗らない。まるで戦争中の子どもみたい」と言われる。いたのか君は、戦時中。
 憲法は守れなくても妻の言いつけは守ろうと思っているが、諸情勢によりやむを得ず解釈を変えて臨んでいた。しかし、このまま食い過ぎを続ければ体重増加には歯止めがかからず、しかも、慢性的な胃の不調はやがてきっと大きな病気となる。それはわかっている。だが治らない。きっと、俺の大食い・早食いは不治の病なのだろう。マコ、甘えてばかりでごめんね(by青山和子)。

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世論に弱い

 1年に1度ホテルで開かれるある立食パーティーに参加した。パスタを食べていると、1年ぶりに会った人が「あれ、やせましたね」と言ってきた。フンっ、皮肉を言いやがって、と思った。体重は去年より確実に増えているはずだ。適当にあしらって隣のテーブルの歓談に交じりエビピラフを食べていたら、1年ぶりに会った女性が「あら、少しやせた?」と聞いてきた。なんだが妙な感じだ。ここ1、2週間、忙しくてジムに行けず、体重を測っていないことに気づいた。そういえば、ここ2、3週間どうも胃の調子が悪い。いや、今年になってずっと胃の調子が悪い。
 そうは言うものの、ホテルの立食パーティーの会場である。料理はひと通り食べたが、締めはやっぱしホテルのカレーだとシーフードカレーを食べていると、1年ぶりにお会いした先輩が「おや、やせたんじゃないか」と声をかけてきた。
 なんだか気分が悪くなってきた。いかん、きっと悪い病気に違いない。

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不惑天命耳掃除

 床屋に対するこだわりはない。近所の昔からある格安店「理容一番」や駅構内の「QBハウス」もよく行くし、出張先で時間が空けばその街の床屋に入る。一見さんである。だから頭の形が安定しない。頭の中はもっと不安定だ。それでも一か所に決めないのは、予約をしたり時間を取られるのが面倒だからだ。外から覗いて、空いていたら入る。値段は気にしないから、ホテルの高級理容室でQBハウスの5倍の料金を払うこともある。先月は札幌の床屋に行った。お姉さんが耳元で「300円で耳掃除しますけど」と囁くので「ぜひ」と言ってお願いした。
 どのように仕上がろうとも、床屋の後はなんとなく気恥ずかしい。床屋帰りに耳が赤いのは、あれは恥ずかしいからじゃないか。中学の頃は、床屋でちょっとでも変な髪にされると、その後2週間ぐらいはクヨクヨした。俺がモテないのはこの髪型のせいだと床屋を恨んだ。他人はこのアタマをどう見るか、そればかりが心配だった。だが、中年になってくると、鏡を見て「あっ失敗した」と思っても3日もすれば慣れるし、1ヶ月すれば元通りじゃないかと思うようになった。年齢を重ねるということは、そのようなことなのである。40にして惑わず50にして天命を知り、耳に従う日も近い。もう僕は、変な頭にされても心配しない。
 家に帰って、変だと笑われる前に、妻に髪型のことは心配していないと言った。すると彼女は静かに言った。「心配しなくちゃならないことは、他にたくさんあるからね」。少し落ち込んだ。

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バリカン半頭

 床屋に行った。少し暑くなってきたので、さっぱりしたいと思った。後ろと横を、バリカンで少しさっぱりしてくれと言ったら、床屋のにいちゃんは何を張り切ったのか、とてもさっぱりと刈り上げた。少しって言ったのにぃ。
 カメラマン志望で東宝に入社した三船敏郎は、俳優をやれと言われた時、「男のくせにツラで金をもらうのは嫌だ」と思ったという。僕もツラで経営をしているわけではない。男は黙ってバリカン頭。そのまま事務所に戻った。
 事務所の諸君は何も言わなかった。変だと笑う無礼な奴がいたら、後で仕事のミスを見つけてネチネチ苛めてやろうと思ったが黙っている。素敵ですね、という嘘つきがいたら別件逮捕で解雇してやろうと思っていたが、我が事務所スタッフは健全に育てられている。余計なことは言わない。いや、そうではない。もともと興味のない中年男の髪型など、見ていないのである。きっと、首から上、頭ごとなくなって出社しても気づかないだろう。今度はモヒカンにしてやる。

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ダヨーンモップ

 子供の頃から「もう2度としません」と泣きながら約束しながら、ホトボリがさめるとまたやるということを繰り返してきたが、禁煙だけは約束を守った。無論、途中何度が挫折の危機はあった。食事の後、うっかり吸いそうになる。禁煙早々は、うっかり吸う夢を何度か見た。3ヶ月後には、隠れてトイレでこっそり吸っている夢を見た。禁煙したと言うと、わざとタバコを勧める悪趣味な友人も多かった。
 最大の危機は、禁煙100日後、それによって太ったということを自覚した時だった。禁煙で飯がうまくなっていたが、徐々の変化というものはなかなか気づかないものである。床屋に行って、いつもより多めに髪を切ったら、妻が「どうして、そんな顔にしてきたんだ」と言う。床屋で顔を作るのかと思ったが、風呂上りに鏡を見ると、ダヨーンがモップを乗せたような顔になっている。タバコを吸ってもとの精悍な二枚目に戻る道を選ばず、ダヨーンの人生を歩み始めた。思えば苦渋の選択だった。飯を減らすという選択はなかった。

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祝・10周年

 周年行事はふつう5年、10年という節目で行う。以前、「おかげさまで7周年」という手紙が来たので、その店のママに「7年って中途半端じゃないか」と聞いたら「あら、七回忌があるじゃない」と言っていた。翌年「八は末広がりで縁起がいいのよ」と8周年をやっていた。
 私事で恐縮だが、2016年5月に10周年を迎えたことがある。禁煙達成10周年。まさに慶賀の至りである。
 10年前の春、入社3日目の女子社員が夕方、シクシク泣きながら会社を辞めたいという。事情は、香料のアレルギー、つまりタバコアレルギーで煙たい事務所がツライのだという。当時、社長である僕はチェーンスモーカーだった。で、「理解がある社長」を演じたくて、社内禁煙にすると宣言し、喫煙はベランダですることに決めた。その日、家に帰ってうっかりそのことを妻に話すと「うちもそうしなさい」と言われた。世の中全体が喫煙者に冷たくなっていった頃だ。
 ホタル族はめんどくせぇなと思いつつ1ヶ月が経過した頃、朝からセキが出るし、二日酔いで気持ちが悪いしで、タバコを吸うのを我慢していた。午後、辛抱できず自動販売機に行ったのだが、タバコを買わずに隣のマツモトキ
ヨシに入ってニコレットを買った。それが2006年5月21日の日曜日。ここから10年吸っていない。よく頑張った。

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チキチキマシン猛レース

 小学生の頃、夏休みや春休みの再放送で何度も観た『チキチキマシン猛レース』のブラック魔王は、競走相手の妨害に失敗して崖から落ちる時、「助けて!」と言わず「神様~っ」と叫びながら落ちて行った。ブラック魔王は嫌われ者だから、助けてくれと言っても誰も来てくれないし、部下のケンケンに頼むとロクなことにならないのを知っているから、神様に救いを求めるのだろうと思った。
 中学生になって字幕の洋画を観ていると、「助けて」の字幕のところで女優が「Oh my God!」と叫んでいる。なるほど、そういうことなのかと分かった。この時、もう少し英語に対する興味関心が高まっていれば、グローバル化に対応したビジネスマンになっていただろう。しかし女優の胸元ばかり気にしていた中学生は、中年になってブラック企業の間抜けな社長になっている。後ろで部下が、声を押し殺して笑っている。
 『チキチキマシン猛レース』の原題は『Wacky Races』で、1968年に全米ネットワークのCBSで放送されたそうだ。Wackyが日本で「猛レース」になったのは、日本での放映当時に大反響となっていた丸善石油のCM「Oh!モーレツ」から「モーレース」となったということを最近wikipediaで知った。昭和史は、まだまだ解明せねばならないことが多い。

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