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2017.12.25

平成29年が終わる

 リーダーが誰であってもルールがしっかりしていればいい、という考え方があるが、果たしてそうだろうか。国のルールって憲法だよな、とニュースを見ながら思った。
 空からミサイルが降ってくるかもしれない時に選挙になって、投票日は大雨が降った。テレビキャスター氏が「緑のたぬき」と呼んだおばさんチームは負けたが、「赤いきつね」はもっと出る幕がなかった。
 高校の時、いつも頭痛薬ノーシンを飲んでいる年寄りの国語の先生が、「反対する人がいると、あいつはアカだと決めつけて意見を聞かないような人間になるな」と言った。何の脈絡でそう言ったのか覚えていないし、戦争が終わって30年経っている時代の高校生には「アカ」は死語だった。その先生は30歳を過ぎてから兵隊にさせられたと言っていたから、何かに反対したのだろう。「懲罰招集」というのを知るのは、国家に疑いを持った大学生になってからだった。
 僕たちが高校生の頃は、まだ戦争を知っている人がたくさんいた。そういう人たちの戦争悲惨話は、たくさんの本に残っているはずなのだが、最近は「あれは大袈裟だ」という人も出てきた。昭和が終わって30年になる。

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ヒトのフリ見て

 零細企業であっても、経営をしていくには使命感と信念は必要だろう。押し付ける気はないが、社員はある程度同じ方向を向いて仕事をしてもらわないと会社は成り立たない。だが、昭和であれば許されることも、現在の常識ではやってはいけないことが多々ある。常識を踏まえるのが教養人である。教養人でありたいと願うワタクシは、これからどうすべきなのであろうか。あぁ、もはや取材どころではない。
 ずっと以前、「トップダウン型企業よりもボトムアップ型企業の方が伸びる」という講演を聴いたオーナー社長が、早速、幹部を招集して怒鳴った。「これからはボトムアップだ。何か言え!」。その話を聞いて笑ったが、自分も似たようなものかもしれない。
 仕事先でパワハラの現場に遭遇することがある。嫌なものである。会社に戻って部下に、俺もあんなかな、と聞く。「そんなことありません」とすぐ言ってもらいたいのだが、戸惑った顔をされると傷つく。適切なお返事がすぐできるように、ちゃんと練習しておけよ。(57歳零細企業経営者、談)

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ハラスメント考

 土曜日に開催される講演会の取材があった。担当する社員が「別件でどうしても行けないので、社長、行ってくれませんか」と言う。いいよ、と場所だけ聞いてカメラと録音機を持って出てかけた。「ベテラン」になるとこのようにロクに下調べも準備もせず取材に行くようになる。だから、ベテランの仕事は新人よりも大きな間違いをしやすい。
 会場に入り講師のレジュメが配られた。テーマは「パワハラ」だ。なるほど、だから社員は俺に聴講に行かせたのかと、早くも苛立つパワハラ社長は、それでも大人しく講演を拝聴した。
 パワハラもセクハラも、やっている人はその自覚がないのが大半とのこと。パワハラの場合、それをする人のほとんどは使命感が強く、信念があるタイプなのだそうだ。部下には自分と同じような考えで同じように行動してもらいたい。部下がそうできないと苛立ち、部下のために叱る。それが、パワハラ。あぁ俺だ俺だ、とメモを取る。

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かりあげ君

 高校までは頭髪検査があったから、月一度は床屋に行っていた。大学生になって一人暮らしをするようになってからはほとんど行かずに済ませていた。長い髪が反体制のスタイルだった時代は終わっていたから、ただのだらしない貧乏学生のアタマだった。その頃からずっと、父親と顔を会わす度に「床屋に行け」と言われた。
 30代の後半から再び一人暮らしでなくなって、同居人に「床屋に行け」とうるさく言われるようになった。命令には従うが、行けと言ったくせに、行ってきたアタマを見て必ずクククと声を殺して笑うのはやめてもらいたい。
 行きつけの床屋はない。たいていは会社の近所の安い床屋で済ませ、出張先の町で時間調整に入ることもある。今は床屋さんの料金は店によって違うが、サービス内容はほぼ全国共通だ。関西だから髭を薄く剃ったり、名古屋だから小倉トーストのサービスがついたりしたりしない。特別のこだわりがなければ、どこの床屋でもカットは同じだ。
 年に一度の贅沢と、なんだかんだで8,000円もするホテルの理容室に行く時もあるが、毎回、その分叙々苑の壷漬けカルビを食うべきだったと後悔する。
 先日、以前から前を通るだけだった高田馬場の老舗理容室に入った。年配の主人が丁寧に刈ってくれた。さっぱりしたが、さっぱりし過ぎた感もある。北朝鮮ほどではないが、中国の指導者ぐらいのかりあげだ。翌日、自宅マンションで代わったばかりの管理人に呼び止められた。「なんだよ」と思ったが、どうも民泊しに来た外国人と間違えたらしい。失敬なやつだ。俺が国家主席だったら逮捕させている。

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人工知能

 久しぶりにクルマを買い換えた友人が「まるで宇宙船のようだ」と言っていた。最近のクルマは自動運転の精度が上がり、車庫入れも誘導してくれるらしい。そのうち、彼女を送り届けるとブレーキランプでアイシテルのサインを出したり、前をトロトロ走っているクルマを自動的に煽ったりするのも出てくるだろう。
 ロボットが鮨を握るようになってからずいぶん経つ。そのうち、客が注文すると目の前で握ったり、好みに合わせてつまみを切ったりするロボットができるのだろう。客に愛想を言ったり威張ったりするロボットも出てくるはずだ。ロボットの機嫌を取りながら鮨を食うのは嫌だな。AIは学習するから、金にならない客には乱暴になるかもしれない。
 仕事がなくなるかもしれないが、AIがもっと進化すればいいなと願うこともある。クライアントや妻との会話では、こちらがいくら証拠を集め論理的に話しても「それはあんたの考えだろう」と理解を得られないことがある。こちらの能力やセンスを信じないのだろうが、相手のことを考え尽くして出した結論を検証検討もせずそのようにあしらわれれば腹が立つ。そんな時、目の前でパソコンを開いてキーを押し、AIが同じを答えを出してくれればドヤ顔ができるではないか。
 いや待て、より高度になったAIは当然「忖度」も心得ているだろうから、「お客様(奥様)の仰る通りでございます」と回答するかもしれない。進化したAIはどんどん人間に近づき、どんどん嫌な野郎になっていく。

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AIはAIより青し

 自身の学習能力は落ちているが、AIは知らぬ間に凄まじく進化しているらしい。人口減少だから機械が人間の代わりをすれば便利じゃないかと思うが、そうも言っていられない。機械化で失業者が増える心配がある。単純労働の機械化・自動化がいずれ人の職場を奪うというのは、もうずいぶん前から言われていたが、最近読んだ雑誌では、発達したAIは知的労働者の仕事をどんどん奪うと特集していた。もうチェスで勝った負けたと言っている場合ではない。
 知的労働とはどういうものをいうのか議論があるだろうが、計算業務だけの税理士は仕事がなくなるとか、判例だけでやるなら裁判官も弁護士もいらないと知人の資格者たちは心配している。もっとも、こういう危機感を持った人たちはきっとまだしばらくは食っていくことができるだろう。「俺たちの仕事がなくなるわけがない」と根拠なく思っている資格者たちは心配だ。いまだに司法試験の合格者数が多ければ学生が集まると信じている私立大学も危ない。

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瘤とり爺さん

 右の手首に瘤のようなものができた。いつできたのかわからない。痛くないから気がつかなかった。妻に見せると、「それ、でんぐりごんじゃない」と言う。「でんぐりごん」って何だ、と急いでGoogle検索すると「もしかして、がんぐりおん?」と聞いてきた。Ok、Google。AIが進化すれば夫婦のコミュニケーションはもっと円滑になるだろう。
 ガングリオンとは関節の近くにできる良性腫瘍で、放っておいても命にかかわることはないらしい。若い女性によく見られ、昔は修道女がよくなったので「聖書ダコ」ともいったらしい。俺って神聖なのかしら。
 サイトの記事を色々読んでみたが、命の心配はないがはっきりとした原因はわかっていないらしい。気になるが身体にメスを入れるのは嫌だ。鬼の前で踊ればきれいに取ってくれるかもしれないと、小太り爺は思うのであった。

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資質向上せず

 20年以上も会社をやっていてビル一つ建たないのだから経営者の資質がないことは自覚している。俺は一体どんな資質があるのだろうかと悩んでいたら、医者から脂質異常だと言われた。なので、ずいぶん前から3カ月に1度、病院に通っている。血液検査をし、その結果をもとに診察を受けて、薬をもらって帰る。
 転勤なのか転職なのか、総合病院はよく医者が交代する。今の担当医は確か4人目で、若くて元気のいい女医さん。「庶民的」というのはこういうキャラを言うのだろうというタイプなので話がしやすく、別の科でもらっている薬のことも質問したりしている。これが大門未知子だったら、「夜中に何度もオシッコに起きます」などと正直に言えないだろう。以前、別の病院で網タイツを履いて足を組み替える女医に診察された時は、ロクに話もせず無駄に血圧を上げた。ただ、今の庶民的な女医からも降圧の薬は処方されている。
 忙しい日が続き、定期検査の予約を2週間延ばして受けた診察で、以前に比べて尿酸値も上がっていると指摘された。女医は心配そうな顔で、最近、何か変わったことがあるかと聞く。変わったことはない。いつも定期検査の前は節制して臨むのだが、忙しくていつも通り宴会続きのまま受診しただけだ。信頼している女医に、ありのままの自分を見てもらいたかっただけなのだ。
 そのことを正直に話すと、暴飲暴食は慎んでくださいね、と優しく言い、お肉やお酒を控えるか薬を飲むかどっちにしますか、と聞かれたので、「薬を出してください」とすかさず言った。これから忘年会シーズンである。メダルのためにドーピングするアスリートも、きっとこんな心境だろう。
 女医の笑顔は消え、黙ってパソコンの方を向いて処方箋を入力した。その横顔は「ったく」という顔だった。なぜ、「ったく」だと、わかったかというと、家にいる女性にも、時々、そういう顔をされているからだ。ありのままを見せ、思ったままを言えば、必ず「ったく」という顔をされる。

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広告屋の腕

 健康食品も健康器具も、その効果を直球で広告宣伝すると、法律違反や行政指導の対象になる。国家官僚は国民大衆は愚かだと思っているし、愚かな大衆に自己責任という概念はない。そうなってくると企業側は「ゼッタイに痩せる」とはゼッタイ言わずに、消費者にどうやって「ゼッタイに痩せるらしい」と思わせるかが勝負になってくる。
 そしてこの手の商品やサービスは、安いより高い方が売れるらしい。ライザップは30万円以上かかるらしいが、30万円以上も払えば痩せないと損だという気になる。それで痩せた人は自慢して宣伝してくれるし、痩せなかった人は馬鹿にされるから黙っている。「※お客様個人の感想です」ならば、「ゼッタイに痩せる」感を出しても直ちに違反ではない。
 1990年代に登場し、今も一定の支持者がいるダンベルダイエットも、別にわざわざダンベルセットを買わなくても、毎日、ちょっと重いものを意識的に上げ下げすればそれで済む。一般家庭に漬物石はなくなったが、動かしていいイスやテーブルは必ずある。にもかかわらす、ダンベルセットを買わなければ痩せられないのだと思わせるのが、広告屋の腕の見せ所だ。
 どうやったらお客様が振り向くか。マーケッターと広告屋と詐欺師とは、紙一重のところにいるらしい。

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健康器具ビジネス

 平成のオヤジとなった僕は、最近、健康維持に金がかかっている。定期検査が必須になってからは、病院代もくすり代もバカにならない。ジムにも行くし、健康食品や健康器具にもすぐ手を出す。そんなに命が惜しいのかと笑われるかもしれないが、健康食品や健康器具は仕事のコラムのネタでもあるから、仕事にかこつけた言い訳をしながら購入している。
 去年、SIX PADを買った。腹にヒトデかエイリアンのようなものを貼り付けて電気をビリビリ流すやつで、それだけで筋肉がつきポッコリお腹が凹むという触れ込みだ。知人が「女房が誕生日プレゼントで買ってくれたんだけど、けっこう効果があるよ」と言うので、早速、家に帰って妻に報告したが、何ら反応しないので自力で買った。
 最初は毎日やったがさほど効果がない。今は事務所に持ってきていて、休日出勤の誰もいない時に腹につけてブルブルさせながら原稿を書いている。あの商品は本体も安くはないが、装着する際に使う消耗品の「ジェルシート」が異常に高い。取説通りに消耗させると月数千円の出費となる。格安プリンタのインクが高いのと一緒だ。ならばインクと同じで安い非正規品があるはずだと調べると、格安の代替品があった。常用者はこれを使っているらしい。
 健康食品や健康器具の健康効果はなかなかはっきりしないが、経済や商売の勉強になることは確かだ。 

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昭和の物価

 「昭和」という時代は戦前・戦中と戦後とで分けられることが多いが、僕は「戦後」をさらに「焼け跡」「高度成長」「オイルショック以降」「バブル」と区分したい。経済白書が「もはや戦後は終わった」と宣言した4年後の昭和35年(1960年)に僕は生まれた。「戦争を知らない子供たち」である団塊のお兄さんお姉さんが大学で暴れ、バブルで踊り、いつもその後始末をさせられた「戦後も知らない世代」だ。
 その世代から見た「昭和」と「平成」の違いの一つは、昭和は「物価高」でモノの値段が上がり続け、平成は「デフレ」で下がり続けたことだ。昭和のドラマを観ていると主婦は必ず「ホント困っちゃうわ、物価が上がって」というセリフを話す。中学生の頃、本は毎年値上がりしたし、父親は会社から「インフレ手当」が支給されていたという。
 昭和58年(1983年)に出版社に入った時の初任給は135,000円で、銀行に行った友達より少し高かった。近所の食堂で昼飯を食った後、先輩に連れられて喫茶店に入ってコーヒーを飲めば、それで1,000円以上はかかった。夜、飲みに行けば最低でも一人3,000円以上。外食と飲み屋は、確実に今の方が安い。デフレで給料が上がらなくなったというが、それでも昨今の大卒初任給は20万円を超えている。若い諸君は、何に金がかかっているのだろうか。

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昭和の健康

 テレビに「ぶらさがり健康器」の“発明者”が出ていた。懐かしいなと後で調べたら正式名称は「サンパワー」というらしく、1978年に発売され大ブーム。1日になんと20万台も売れたが、翌年にはブームが去り、その翌年には会社も倒産したらしい。この“発明”のキッカケは、雑誌かなんかで「ぶらさがり健康法」というのがあることを知ったからだと“発明者”は言っていた。その健康法は、日体大の先生が健康雑誌『壮快』で紹介したのが最初らしい。
 「ぶらさがり健康器」はわが家にもあった。わが家は「ぶるさがり健康器」と言っていた。間違って覚えていたのか、ブームに乗って作られた廉価版の類似品だったかの、よくわからない。ただ、すぐにぶらさがらなくなり、ハンガーにかけられた洗濯物がぶらさがるようになっていた。洗濯物は乾くと、使われなくなった「スタイリー」の上に畳んで積まれた。怪しい外人がテレビで「ワタシニデンワシテクダサイ、ドウゾヨロシク」と言っていたアレだ。「スタイリー」ブームの方がぶらさがりより先だったのかも。わが家は「スタイニー」と呼んでいたから、間違って覚えていたのか、ブームに乗って作られた廉価版の類似品を買ったのかわからない。1970年代の初めごろまでの日本は、今の中国と同じで、ニセモノが巷に溢れていたっけ。

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誤りを正す

 漢字以外にも間違って覚えていることは多い。何をどう間違ったかを列挙するのは恥ずかしいからやめるが、最大の間違いは、自分は間違っていないという間違いだ。これはまだ直っていない。治っていない、と書くべきか。
 以前、クライアントの女性事務員のAさんとBさんとを逆に覚えていつも挨拶をしていた。しばらくして気がついたので、Aさんという名前だとばかり思っていたBさんにそのことを告白すると、「ずっと前から、間違ってるなと思っていましたよ」と優しく言われた。周囲に心優しい人が多いと、自分の間違いに気づかず生きていくことになる。
 他人の間違いを指摘するのは勇気がいる。間違いを指摘されるのはスボンのチャックが開いたままだと指摘されるのと同じで、間違っている時よりも指摘された後の方がとっても恥ずかしい。恥ずかし過ぎて思わず「わざとやってるんだよ」と声を荒げたり、黙っていて欲しかったと相手を恨んだりする。家族でもないのにそんなリスクを冒してまで誤りを指摘することはない。たいていの人は、自分に実害がなければ、相手の間違いはそのまま放っておく。
 妻にまた誤りを指摘されたので嫌な顔をすると「私ぐらいしか言ってあげる人はいないでしょ」と威張っている。確かに、自身に間違いはないかを検証したり、間違っていたら直すということをしないようになれば脳は老化し、性格は傲慢になる。親しい人がそうならないために心を鬼にして間違いを指摘をするためには、鬼になるか私の妻になるしかないのである。

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漢字の練習

 読めるけど書けない字も多い。しかも年々増えている。パソコンや携帯のワープロ機能のせいにしているが、そんなものがなかった国文学科の学生だった30数年前も、憂鬱や薔薇をスラスラ書ける友人は、国語教員の試験を受ける子と暴走族をやっていた奴だけだった。
 歯槽膿漏もその一つで、放っておくと大変なことになる病気だということは子供の頃から知っているから読める。でも、書く練習をせず放っているので、今ここに書け、と言われると自信がない。ソーとノーのヘンが曖昧だ。
 漢字は中国で発明され朝鮮半島を経て日本に来たと言われているが、中国は識字率アップのために漢字を大幅に簡略化した簡体字を使っている。植民地支配から独立建国したという歴史認識の北朝鮮や韓国は、漢字は全く使わずハングルを使っている。北朝鮮では「金正恩」と書いてもほとんど通じないか、わからないフリをされるらしい。そのお名前は、김정은と書いて読む(読めないけど)。
 ソウルの街で突然、秘密警察・国家情報院に北のスパイと間違われて捕まったとする。「違う、私は日本人だ」と言ったら、「日本人なら漢字を書いてみろ」と言われるかもしれない。「金大中」や「中川順一」と書いて釈放してもらえればいいが、「日本人ならシソーノーローと書いてみろ」と言われたらアウトだ。放っておくと大変なことになる歯槽膿漏で苦しまないためには、日頃の心がけが大切だと、歯医者さんも言っている。ソーはキヘンでローはニクヅキ。間違えないようにツキヘンと間違えて覚えよう。

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読み間違い

 ずっと以前、中山道を「ちゅうさんどう」と読んだ女子アナがいた。大いに笑ったが、自分だってやっている。「間髪を容れず」は「かんぱつ」ではなく「かん、はつ」が正しいのだと最近知った。このぐらいの間違いは勘弁してもらえるだろうが、調べてみると、間違った読み方がそのまま定着してしまった漢字も多いらしい。「輸入」は正しくは「しゅにゅう」、漏洩は「ろうせつ」、杏仁豆腐は「きょうにんどうふ」が本当みたい。だが現在、国語のテストで本当の方を書けば、たいてい不正解となってしまう。世の中は、みんなが間違えれば、それが正しくなるのだ。
 若い頃、年上の綺麗なお姉さんが「私たちダンコンの世代は…」と言ったので驚いた。「団塊」を間違って読んだらしい。もしみんなが間違って覚えていたら、今時の40歳代は「ダンコンジュニア」になるところだった。

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